60歳の定年退職にあたり考えたこと
わたしが2023年3月まで勤めていた会社は、60歳定年で退職するか再雇用の道を選ぶかのふたつの選択肢が用意されていました。
社会もすごいスピードで変わっていっていますし、いつまでこの制度があるかわかりませんが(おそらく数年内に定年は65歳が一般的になるような気がします)、現在のところ日本の企業の中では一般的な制度なのではないかと思います。
2023年3月の半年前に当たる2022年9月までに、どちらかの選択肢を選ぶ必要があったのですが、60歳での定年退職を選択したわたしが、何を考えていたのかを少し振り返ってみようと思います。
これから選択を迫られる方々の参考になれば嬉しいです。
暮らしていけるのか
まずは、当然ながら経済的に暮らしていけるのかという問題です。
2002年(40歳の頃)に年金の受給開始年齢が60歳から65歳に引き上げられることになり、当時はまだ継続雇用制度も一般的ではなく、なんだかヤバいのではないかと考え始め、家計簿を付けるようになり、生涯の資金計画を立てて、年に一度見直すようになりました。
生涯資金計画を作ってみた当初はとても60歳定年退職は難しいと考えていましたが、固定費(生命保険や通信費)の見直しやシンプルライフ(無駄なものは買わない)の実践、幾ばくかの投資(インデックスファインド中心)により、毎年少しづつ改善して、58歳くらいの時にようやく雇用延長しなくてもなんとなかなるのかなと思えるようになりました。
老後2000万円問題とか言いますが、あくまで統計的な数字なので(逆にプラスだったら年金額を減らそうという話にしかならないし)、自分のケースをシミュレーションしてみる必要があります。それが生涯資金計画です。
今時点からの年ごとの収入(年金受給額も含めて)と経常的な支出額およびイベント支出(子供の受験費用、車の買い替え費用など)を想定で積み上げていきます。自分がいつ死ぬのか、残された妻が得られる年金額も入れていきます。
自分がいつ死ぬのかなんてわかりませんが、それについて考えることは、残されている時間は意外と少ないことに気づくことができて、その意識で老後の暮らし方を考えることができるので、とても良いことだと思います。
生涯資金計画を立てたら、毎年少しづつ見直して改善していくわけですが、効果があったかなと思えたものを三つ挙げてみます。
一つ目は固定費の削減です。食費とか外食費とかは無理に抑えようとしても長続きしませんが、固定費は一度見直すとその影響がずっと続くので効果絶大です。格安スマホにしたり、生命保険の補償額を見直したり、車の買い替え周期を見直したり、自動車保険を通販型にしたり、考えつくものを少しづつ見直していきました。見直す度に生涯計画を修正することで効果が実感できました。
二つ目はシンプルライフの実践です。やりたいことを我慢するような節約は長続きしませんし、ストレスのもとになってしまうので、生活満足度が下がってしまい本末転倒です(苦しい思いまでして退職するのであれば働いていた方が良い)。いろいろと試してみて、わたしにはシンプルライフという考え方が自分の価値観ともマッチしてかつ無駄な支出を抑えられるしっくりとくる考え方だと思い実践してきました。
断捨離とかミニマリストとかに似ていると思いますが、あまり窮屈に考えるとそれはそれでストレスになってしまうので、なるべく無駄なサービスやモノは買わないように、身の回りのモノはなるべく少なくするようにしました。使わない機能のついた家電は買いませんし、欲しいと思ったモノでもまず置き場所や使っているシーンを想像して上手くイメージできないものは買わないようにしました。
そうすることで何が自分には必要なのかがわかり、本当に自分が満足出来るモノやサービスにお金を使うことができるようになり、相対的にお金の価値が上がったようにも感じています。支出は減っても生活満足度は上がっていったということです。だから続けることができたのだと思います。
三つ目は少しづつでも試してきた投資です。インデックスファンドを中心にリスク許容度を自分なりに見極めながら少しづつ買い増ししていったこともあり、リーマンショックなどの暴落も経験しましたが、なんとか乗り越え、通算では資金計画の改善に寄与してくれました。
現金・預金が安全というのは日本で生活する限りその通りだとも思うのですが、日本円だけで全資産を持つというのも、全世界的に見ればリスクでもあります。(日本が貧乏になってしまえば、一緒に貧乏になるので)なのでいろいろな形で資産を持っている方がリスク分散となり安全な気がしています。決して自分だけ特別に儲けようというわけではなく、世界経済の波に自分も乗っているという感じでしょうか。
また、日本、米国、全世界、新興国の株式、REATや債券などいろいろな商品を少しづつ持つようにすることで、社会に対してアンテナを張れることもいいところだと思っています。毎日、世界中でいろいろなことが起こり、自分の持っている資産の価値が上下するので、自分ごとのように感じることができます。
そんなこんなで、今現在のわたしの生涯資金計画は60歳から64歳まで無収入でも耐えられることになっていますが、これからも毎月家計簿をつけつつ、計画に狂いが生じていないかをチェックしていくことになります。
生き甲斐はあるのか
経済的な問題はなんとかクリアできると思えたのですが、次に考えたのは仕事を辞めて生き甲斐はあるのかということです。
仕事を辞めたら暇すぎてでボケるとか、社会との繋がりがなくなって孤独になるとか、よく聞く話です。仕事をしていると、仲間と一緒に一つのことをやり遂げる達成感とか、関係者に頼りにされる満足感を感じることもできます。
仕事を辞めたら一体何を張り合いに生きていけばいいのか、と思い悩むのはごく自然のことのように思います。
そこで退職したらやりたいことをノートに列記してみました。山登りとか渓流釣りとか、全国の史跡巡りや学び直しをしたいとか、意外とたくさんあって、当然できることとできないことがあることもわかっていますが、暇で困ることはなさそうな気がしました。(このブログもそのうちの一つです)
さらに、定年後の生活の年間計画的なものを考えてみました。山登りや渓流釣りは季節や自分の体力も考慮して年間にどのくらい行けそうか、全国の史跡巡りなら費用も含めてどのくらいのペースになりそうか。そうすると暇どころか、時間がないような気がしてきたのです。
健康寿命などと言われますが、アウトドアでしっかり活動できるのはせいぜい70歳くらいまでではないでしょうか。おまけにわたしは50歳の時に病気をして持病があり、健康不安も抱えています。それを考えると65歳まで働くと、その後の人生でやりたいことができなくて後悔するのではないかと思ったのです。
まだこうしてやりたいことがあって、体力も気力も充実している時に、仕事を辞めてやりたいことにチャレンジする。会社で働くばかりが仕事でなくて、わたしという人間を楽しませる個人事業主になるというイメージで捉えていました。
もともと人付き合いが得意ではなく、一人で遊ぶことに慣れているということもあったと思います。
60歳でのリタイヤ生活に不安もありましたが、どうせ65歳には辞めなければいけないのだし、同じ辞めるのであれば、気力も体力もまだ充実している今なのかなと思ったのです。
時間なのかお金なのか
人生100年時代とか聞くと100歳まで楽しく暮らせるのかと勘違いしてしまいそうになりますが、男の平均寿命は81歳ぐらいで健康寿命は72歳ぐらいです。
もちろん平均値なので、これより早く健康を害してしまって、外出もままならなくなることもあるわけです。
60歳でリタイヤするかどうかの判断は、時間を貴重だと思うか、お金の備えが重要だと思うかの選択でした。
わたしの場合は、やりたいことがまだまだあって、そのためには体力と気力がある今の時間がとても貴重なものに思えたのです。65歳まで働いたとして、その時点で今と同じ体力と気力があるか、下手をすると65歳までに健康を害してしまう可能性もあります。そうなると人生を後悔しそうで怖かった。
お金の不安は考え始めると際限がありません。長生きしたら病気になったらと考え、どんどん不安になっていきます。時間があってもお金がなければやりたいこともできないかもしれません。
それでもお金についてはもう一度働くとか節約するとか状況に応じた軌道修正ができますが、時間については失ってしまえばそれまでで、取り戻すことができません。
時間を失いたくないと思って、60歳での定年退職を選択しました。
自分がやりたいことをリストアップしてみて、時間の問題、お金の問題、健康の問題で全てができるわけではない。一度しかない人生だし、終着点も見え始めたこの時期にどうすれば後悔せずに済むのか、半年くらいはああでもないこうでもないと悩んだ上での選択でした。
退職して思うこと
正直、とても清々しい気分です。
全てが自分の選択に委ねられる。大海原を航海する船の操縦席にいるような、大きな開放感を感じています。
仕事が嫌いであったわけでもないのですが、辞めた今思うと、サラリーマンの時はいろいろなものに縛られていたと感じます。時間はもちろんですが、日々の思考や情報の捉え方も偏ります。
会社の中で自分の好きなことを見つけて自由にやっているつもりでも、会社の活動の枠の中ですし、雰囲気とか歴史とか企業文化みたいなものが、薄くベールのように纏わりついていたことを、退職してみて初めて感じました。
わたしが大学卒業してから、ずっと同じ会社に勤めていたからかもしれません。
まだ退職して3ヶ月程度なので、これからやっぱり働いていればよかった、なんてことになるかもしれませんが、それはそれで、その時の心境をまたお伝えできればと思います。
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